JMEI 医療企業分析アカデミー 第54講 「あと何%売上が落ちたら赤字になるか」を考える
はじめに
前回の第53講では、「営業レバレッジ」について学びました。売上が10%増えただけなのに、営業利益が30%増える。反対に、売上が10%減っただけなのに、営業利益が40%減る。なぜ、このようなことが起こるのでしょうか。その理由は、企業が持つ固定費と変動費の構造にありました。そして、営業レバレッジを理解するうえで登場した重要な言葉が、損益分岐点です。損益分岐点とは、利益がちょうどゼロになる売上高のことです。
しかし、企業分析では、損益分岐点を計算できるだけでは十分ではありません。もっと重要なのは、「現在の売上が、損益分岐点からどれくらい離れているのか」を考えることです。
例えば、2つの医療企業があるとします。A社の年間売上高は100億円で、損益分岐点売上高は60億円。B社の年間売上高も100億円ですが、損益分岐点売上高は95億円です。どちらも黒字企業です。ところが、売上が10%減少したらどうなるでしょうか。A社は、まだ黒字を維持できる可能性があります。一方、B社は赤字になる可能性があります。同じ黒字企業でも、経営の安全性には大きな違いがあるのです。
医療企業では、こうした分析が特に重要です。製薬企業なら主力薬の特許満了、医療機器メーカーなら販売数量の減少、診断企業なら検査件数の減少、医療DX企業なら契約施設の解約、病院なら病床稼働率の低下、介護・福祉施設なら利用者数の減少。こうした変化が起きたとき、企業はどこまで耐えられるのでしょうか。
今回は、前回学んだ損益分岐点の基本を実際の企業分析へ発展させます。特に重要なのは、損益分岐点売上高、安全余裕率、売上減少時の利益シミュレーション、価格変動による損益分岐点の変化、医療企業の収益耐久力の5つです。今回の講義を終えるころには、決算書を見ながら、「この会社は、売上が何%減少すると赤字になるのだろうか」という問いを立てられるようになるはずです。
損益分岐点を復習する
まず、前回の内容を簡単に確認しましょう。企業の費用を、固定費と変動費に分けます。固定費とは、売上が多少変化しても短期的には大きく変わりにくい費用です。変動費とは、生産量や販売数量などに応じて増減しやすい費用です。
例えば、医療機器メーカーを考えてみましょう。工場の減価償却費や一定部分の人件費は、短期的には固定費に近い性質を持ちます。一方、医療機器を製造するための材料費や部品代は、生産数量に応じて増えるため、変動費に近い性質を持ちます。売上高から変動費を差し引いたものが限界利益です。限界利益=売上高-変動費、そして営業利益=限界利益-固定費となります。この営業利益がゼロになる売上高が、損益分岐点売上高です。計算式は、損益分岐点売上高=固定費÷限界利益率です。
なお、ここでは理解を容易にするため、営業利益を基準とし、一定の売上範囲では変動費率と固定費が変わらないと仮定します。実際の企業では費用の分類や事業構成が複雑なため、推計には注意が必要です。
具体的な数字で計算してみよう
架空の医療機器メーカー、Medical A社を考えます。年間売上高は120億円、変動費は66億円、固定費は36億円、営業利益は18億円です。まず、限界利益を計算します。120億円-66億円=54億円で、限界利益は54億円です。次に限界利益率を計算します。54億円÷120億円×100=45%です。したがって、損益分岐点売上高は、36億円÷0.45=80億円。Medical A社の損益分岐点売上高は80億円です。現在の売上高は120億円ですから、損益分岐点まで40億円の余裕があります。では、この40億円という数字を、企業分析ではどのように使うのでしょうか。
安全余裕率とは何か
ここで新しい指標が登場します。安全余裕率(Margin of Safety Ratio)です。安全余裕率とは、現在の売上高が損益分岐点をどれくらい上回っているかを示す指標です。計算式は、安全余裕率=(現在の売上高-損益分岐点売上高)÷現在の売上高×100です。
Medical A社の場合、(120億円-80億円)÷120億円×100で、約33.3%です。これは、先ほどの費用構造が変わらないという仮定のもとでは、売上が約33.3%減少するまでは営業赤字にならないという意味です。もちろん、実際には売上減少に伴って販売価格や製品構成、費用構造が変わることがあります。そのため、安全余裕率は将来の黒字を保証する数字ではありません。しかし、企業の収益耐久力を考えるうえで、非常に便利な指標です。
安全余裕率が高い会社と低い会社
2つの医療企業を比較してみましょう。A社は年間売上高100億円、損益分岐点売上高60億円で、安全余裕率は40%。B社は年間売上高100億円、損益分岐点売上高90億円で、安全余裕率は10%です。両社とも黒字です。しかし、売上が15%減少するとどうなるでしょうか。売上は85億円になります。A社は損益分岐点60億円を上回っています。一方、B社は損益分岐点90億円を下回り、営業赤字になる計算です。この違いが、収益耐久力の違いです。企業分析では、現在の利益額だけでなく、利益がどれくらいの売上減少に耐えられるのかを見ることが重要なのです。
安全余裕率は何%あればよいのか
ここで疑問が生まれます。安全余裕率は、何%あれば安全なのでしょうか。10%でしょうか、20%でしょうか、30%でしょうか。実は、すべての企業に共通する絶対的な基準はありません。業種によって売上の安定性が異なるからです。
例えば、長期契約による継続収益が多い医療DX企業、景気や競争環境によって販売数量が大きく変わる医療機器メーカー、主力薬の特許満了が近い製薬企業。これらを同じ安全余裕率だけで評価することはできません。重要なのは、安全余裕率と売上変動リスクを組み合わせて考えることです。売上が安定している企業と、売上が大きく変動する企業では、必要な安全余裕も異なります。
売上が減ったら利益はいくら減るのか
ここからは、実際の企業分析に近づけていきましょう。先ほどのMedical A社を使います。現在の売上高は120億円、変動費率は55%、限界利益率は45%、固定費は36億円、営業利益は18億円です。この会社の売上が10%減少したとします。売上高は108億円。変動費は、108億円×55%=59.4億円。限界利益は48.6億円。固定費は36億円。営業利益は12.6億円です。売上は10%減少しました。しかし、営業利益は18億円から12.6億円へ減少し、減少率は30%です。売上10%減に対して、営業利益30%減。前回学んだ逆方向の営業レバレッジが働いています。
売上が20%減少したら
さらに悪化した場合を考えます。売上高が120億円から96億円へ、20%減少したとします。変動費は52.8億円、限界利益は43.2億円、固定費は36億円で、営業利益は7.2億円です。売上は20%減少し、営業利益は18億円から7.2億円へ、60%減りました。まだ黒字ですが、利益は大幅に減っています。
売上が30%減少したら
売上高は84億円になります。変動費は46.2億円、限界利益は37.8億円、固定費は36億円で、営業利益は1.8億円です。売上は30%減少し、営業利益は90%減少しました。そして、売上が80億円まで減少すると、営業利益はゼロになります。このように売上減少率ごとに利益を計算すると、企業の収益耐久力が見えてきます。
ケーススタディ① 医療機器メーカーの需要減少
ある架空の医療機器メーカーが、整形外科向けインプラントを製造しているとします。年間売上高は500億円、変動費は250億円、固定費は200億円、営業利益は50億円、限界利益率は50%です。損益分岐点売上高は、200億円÷0.5=400億円。安全余裕率は、(500億円-400億円)÷500億円×100=20%です。この会社は、売上が20%減少すると営業利益がゼロになる計算です。
ここで、競合企業が新しい製品を発売しました。さらに、一部の病院が採用製品を変更します。翌年の売上が15%減少すると予想されたら、どうでしょうか。売上高は425億円。変動費率50%と仮定すると、変動費は212.5億円。固定費は200億円。営業利益は12.5億円です。前年の50億円から75%減少します。まだ黒字ですが、利益は大幅に減少しています。
この会社を分析するときは、単に「売上が15%減る見込み」と考えるのではありません。「売上15%減少によって、営業利益が75%減る可能性がある」と考えます。この違いは、企業評価に大きな影響を与えます。
価格が下がると損益分岐点はどうなる
ここからは、前回までの講義から一歩進んだ内容です。これまでは主に販売数量の変化を考えてきました。しかし、医療企業では販売価格の変化も重要です。例えば、医療機器メーカーが競争激化によって、販売価格を5%引き下げたとします。販売数量は変わらず、材料費も固定費も変わらない場合、利益はどうなるでしょうか。
値下げ5%の影響
先ほどのMedical A社です。売上高120億円、変動費66億円、固定費36億円、営業利益18億円。販売価格を5%引き下げ、販売数量は変わらないと仮定します。売上高は114億円、変動費は66億円のまま、固定費も36億円です。営業利益は、114億円-66億円-36億円=12億円です。売上高は5%減少しただけです。しかし、営業利益は18億円から12億円へ、約33.3%減りました。販売価格の5%引き下げが、営業利益を約33%減らすことがあるのです。ここが価格分析の重要なポイントです。
値下げして販売数量を増やせばよいのでは
当然、こう考えることもできます。価格を5%下げる代わりに、販売数量を10%増やす。売上が増えれば問題ないのではないでしょうか。実際に計算してみましょう。元の売上高120億円に対し、販売数量が10%増え、価格が5%下がると、新しい売上高は、120億円×1.10×0.95=125.4億円です。売上は増えています。しかし、販売数量が10%増えるため、変動費も10%増えると仮定します。変動費は、66億円×1.10=72.6億円。固定費は36億円。営業利益は、125.4億円-72.6億円-36億円=16.8億円です。元の営業利益は18億円でした。つまり、販売数量が10%増えて売上も増えたのに、営業利益は減少しています。売上高成長率だけでは、この変化を見抜けません。
値下げを補うには何%の数量増加が必要か
では、5%の値下げをした場合、元の利益18億円を維持するには、販売数量を何%増やせばよいのでしょうか。元の売上高は120億円、変動費は66億円、限界利益は54億円です。販売価格を5%引き下げると、元の販売数量に対する限界利益は、114億円-66億円=48億円となります。固定費が変わらない場合、元の利益を維持するには、限界利益54億円が必要です。したがって、54億円÷48億円=1.125。つまり、販売数量を12.5%増やす必要があります。5%の値下げを補うために、12.5%の数量増加が必要なのです。このような計算は、医療機器企業の価格競争を分析するときに役立ちます。
製薬企業では薬価改定が重要
製薬企業では、販売価格を自由に決められない市場があります。日本の医療用医薬品では、公的医療保険制度のもとで薬価が設定されます。薬価改定によって販売単価が下がる場合、販売数量が同じでも売上が減少することがあります。しかも、研究開発費や製造設備の固定費が短期的に変わらなければ、営業利益への影響は売上減少率以上になる可能性があります。
ただし、実際の製薬企業では、製品ごとの原価率、販売数量、契約条件、研究開発費、海外売上などが異なります。そのため、薬価改定率がそのまま企業全体の売上減少率になるわけではありません。重要なのは、製品別に価格と数量の変化を確認することです。
ケーススタディ② 主力薬の特許満了
架空の製薬企業、Pharma B社を考えます。年間売上高は1,000億円、変動費は300億円、固定費は500億円、営業利益は200億円、限界利益率は70%です。損益分岐点売上高は、500億円÷0.7=約714.3億円。安全余裕率は約28.6%です。
ここで、主力薬の特許が満了します。競合品の参入によって、企業全体の売上が25%減少すると仮定します。売上高は750億円。変動費率30%とすると、変動費は225億円。固定費は500億円。営業利益は25億円です。売上は25%減少しましたが、営業利益は200億円から25億円へ、87.5%減少しました。この会社の営業利益は、主力薬の売上減少に非常に敏感です。実際には、製品構成の変化によって変動費率も変わる可能性がありますが、こうしたシミュレーションは特許満了リスクを考える出発点になります。
診断企業では検査件数を見る
診断企業では、検査装置の設置台数だけでなく、検査件数が重要です。検査装置が病院に設置され、その後、検査が実施され、試薬や消耗品が使用される。このようなビジネスモデルでは、試薬売上が継続的な収益源になる場合があります。しかし、検査件数が減少すると、試薬売上も減少する可能性があります。装置の研究開発費や販売・保守体制の費用が短期的に減らなければ、利益への影響は大きくなります。診断企業では、装置の設置台数と検査件数の両方を見る必要があるのです。
ケーススタディ③ 検査件数の減少
架空の診断企業、Diagnostics C社です。年間売上高は300億円、変動費は120億円、固定費は150億円、営業利益は30億円、限界利益率は60%です。損益分岐点売上高は250億円、安全余裕率は約16.7%です。仮に、検査件数減少などによって売上が15%減少するとします。売上高は255億円、変動費は102億円、固定費は150億円で、営業利益は3億円です。売上は15%減少し、営業利益は90%減少しました。この会社は、売上がわずか15%減るだけで、利益のほとんどを失う計算です。診断企業を分析するときは、検査件数の安定性が重要になります。
医療DX企業では解約率を見る
医療DX企業では、少し異なる視点が必要です。例えば、クラウド型電子カルテを提供する企業で、年間契約医療機関数が1,000施設、1施設当たりの年間契約額が100万円なら、年間売上高は10億円です。この企業では、顧客数が減少すると売上が減少します。特に重要なのが、解約率です。毎年新規契約を獲得していても、既存顧客が大量に解約すれば、売上は伸びません。一方、契約が長期にわたり継続する企業では、売上の予測可能性が比較的高くなることがあります。そのため、医療DX企業の損益分岐点分析では、単なる売上高だけでなく、契約施設数や解約率も確認します。
ケーススタディ④ 医療SaaSの損益分岐点
架空の医療SaaS企業、Medical DX D社を考えます。年間売上高は20億円、変動費は4億円、固定費は12億円、営業利益は4億円、限界利益率は80%です。損益分岐点売上高は、12億円÷0.8=15億円。安全余裕率は25%です。この企業が売上の25%を失うと、営業利益はゼロになる計算です。
ここで重要なのは、解約率だけではありません。新規顧客獲得数、顧客単価、既存顧客の契約拡大、導入費用、サポート費用なども確認します。医療SaaSでは、損益分岐点を超えているかだけでなく、継続収益がどれくらい安定しているかが重要なのです。
病院では病床稼働率を見る
病院の損益分岐点分析では、病床稼働率が重要な指標の一つになります。例えば、200床の病院で病床稼働率が80%なら、平均入院患者数は160人です。病床稼働率が70%になると、平均入院患者数は140人になり、20人減少です。しかし、病院の建物は変わりません。医療機器も変わりません。一定の人員配置も必要です。そのため、入院患者数の減少によって収益が減っても、費用は同じ割合では減らないことがあります。結果として、医業利益が大きく減少する可能性があります。
ケーススタディ⑤ 病院の損益分岐点
架空の病院、Hospital Eを考えます。年間医業収益は100億円、変動費は40億円、固定費は55億円、医業利益は5億円、限界利益率は60%です。損益分岐点医業収益は、55億円÷0.6=約91.7億円。安全余裕率は約8.3%です。この病院は、現在黒字です。しかし、費用構造が変わらなければ、医業収益が約8.3%減少すると、医業利益がゼロになる計算です。
ここで病床稼働率が低下したらどうなるでしょうか。外来患者数が減少したらどうなるでしょうか。診療報酬改定によって収益構造が変わったらどうなるでしょうか。病院では、こうした複数の要因を考える必要があります。なお、医業収益の減少率と病床稼働率の低下率は必ずしも一致しません。患者構成、診療単価、外来・入院比率などによって変わります。
介護・福祉施設では利用率を見る
介護・福祉施設でも、損益分岐点の考え方は非常に重要です。例えば、定員20名の生活介護事業所で、平均利用者数が12名、15名、18名と増えていくとします。一定の職員配置や施設費用がすでに発生している場合、利用者数の増加によって利益が改善することがあります。しかし、利用者数が減少すると、反対のことが起こります。家賃、管理者、サービス管理責任者、送迎車両、一定の職員配置。これらの費用は、利用者が減ったからといって、すぐに削減できるわけではありません。そのため、利用率の低下が利益を大きく圧迫する場合があります。
ケーススタディ⑥ 障害福祉施設の損益分岐点
架空の生活介護事業所を考えます。年間売上高は6,000万円、変動費は1,500万円、固定費は4,000万円、営業利益は500万円、限界利益率は75%です。損益分岐点売上高は、4,000万円÷0.75=約5,333万円。安全余裕率は約11.1%です。この施設は黒字ですが、売上が約11%減少すると営業利益がゼロになる計算です。
では、利用者数が減少した場合、何を確認すべきでしょうか。利用率、欠席率、送迎体制、職員配置、利用者1人当たり収益、加算取得状況などです。特に障害福祉サービスでは、人員配置基準やサービスの質を維持する必要があります。単純に人件費を削ればよいわけではありません。利用率の改善と適切な支援体制を両立させることが重要です。
損益分岐点は固定された数字ではない
ここまでの計算では、固定費と変動費率が変わらないと仮定してきました。しかし、現実の企業では、損益分岐点は変化します。原材料費が上昇する、人件費が上昇する、新工場を建設する、研究開発費を増やす、新しい施設を開設する、販売価格を引き下げる。これらによって、損益分岐点は変わります。つまり、損益分岐点は、企業の経営環境や事業構造によって動く数字なのです。
固定費が増えたらどうなる
Medical A社に戻ります。現在の固定費は36億円、限界利益率は45%、損益分岐点売上高は80億円です。ここで、新しい製造設備を導入し、年間固定費が36億円から45億円へ増加したとします。限界利益率は45%のままです。新しい損益分岐点売上高は、45億円÷0.45=100億円です。損益分岐点は80億円から100億円へ上昇しました。つまり、新しい設備投資によって、必要な売上高が増えたのです。
もちろん、その設備によって生産能力や利益率が改善する可能性もあります。だから、設備投資では、固定費がどれくらい増えるか、売上がどれくらい増えるか、変動費率がどれくらい改善するかを一緒に考える必要があります。
損益分岐点が上がることは悪いのか
必ずしも悪いわけではありません。例えば、新工場を建設して固定費が増え、損益分岐点が上がる。しかし、生産能力が大幅に増え、高付加価値製品を製造でき、将来の売上と利益が増える。このような場合、損益分岐点の上昇は、将来の成長に必要な投資の結果かもしれません。重要なのは、上昇した損益分岐点を超えるだけの需要があるかです。
損益分岐点とキャッシュフローは違う
ここで、もう一つ重要な注意点があります。損益分岐点を超えて黒字であっても、資金繰りが安全とは限りません。例えば、営業利益が黒字でも、借入金の返済、設備投資、売掛金の増加、在庫の増加などによって、現金が減少する場合があります。また、減価償却費は会計上の費用ですが、計上時点では現金支出を伴いません。そのため、会計上の損益分岐点と、資金繰り上の必要売上高は異なります。企業分析では、損益分岐点を確認した後、営業キャッシュフローや借入金返済負担も確認する必要があります。
JMEI式「3つの収益耐久力」
JMEIでは、企業の収益耐久力を考えるとき、3つの視点を組み合わせます。
第一は、利益の耐久力です。売上が何%減少すると営業赤字になるのかを、損益分岐点と安全余裕率を使って確認します。第二は、キャッシュの耐久力です。売上が減少しても、事業を継続するための現金を確保できるかを、営業キャッシュフロー、現預金、借入金返済、設備投資などから確認します。第三は、事業の耐久力です。売上が減少した原因から回復できるかを、競争力、製品力、市場シェア、顧客継続率、研究開発力などから確認します。
この3つは、それぞれ異なります。現在の利益に余裕があっても、競争力が失われれば長期的には厳しくなります。一方、一時的に赤字でも、十分な資金と強い競争力があれば回復できる可能性があります。
企業分析ではシナリオを作る
ここまで学んだ内容を、実際の企業分析に使ってみましょう。ある医療機器企業の売上高が1,000億円、変動費率60%、固定費300億円、営業利益100億円だとします。限界利益率は40%、損益分岐点売上高は750億円、安全余裕率は25%です。ここで、3つのシナリオを作ります。
基本シナリオは、売上高1,000億円、営業利益100億円です。悪化シナリオは、売上高900億円、変動費540億円、固定費300億円で、営業利益は60億円です。深刻な悪化シナリオは、売上高800億円、変動費480億円、固定費300億円で、営業利益は20億円です。この会社は、売上が20%減少しても黒字を維持できる計算です。しかし、営業利益は80%減少します。ここからさらに、価格下落や固定費増加が重なったらどうなるでしょうか。このように、複数のシナリオを作ることが重要です。
ストレステストという考え方
企業分析では、悪い状況を想定して企業の耐久力を確認することがあります。これをストレステストと呼びます。例えば、売上10%減少、売上20%減少、売上30%減少、原材料費10%上昇、販売価格5%低下、固定費10%増加。こうした条件を組み合わせて、利益がどのように変化するかを確認します。
もちろん、将来を正確に予測できるわけではありません。しかし、どの要因に利益が敏感なのかを把握できます。企業分析で重要なのは、未来を一つの数字で当てることではありません。どのような変化が起きると、企業の収益構造が崩れるのかを理解することです。
ケーススタディ⑦ 3社の医療企業を比較する
ここで、3つの架空企業を比較してみましょう。A社は製薬企業で、売上高1,000億円、限界利益率70%、固定費600億円、営業利益100億円です。損益分岐点売上高は約857億円、安全余裕率は約14.3%です。B社は医療機器企業で、売上高1,000億円、限界利益率40%、固定費300億円、営業利益100億円です。損益分岐点売上高は750億円、安全余裕率は25%です。C社は医療DX企業で、売上高1,000億円、限界利益率80%、固定費700億円、営業利益100億円です。損益分岐点売上高は875億円、安全余裕率は12.5%です。
3社とも、営業利益は100億円です。しかし、安全余裕率は異なります。A社は約14.3%、B社は25%、C社は12.5%です。単純な損益分岐点分析では、B社が最も売上減少に耐えられる構造です。しかし、ここで終わってはいけません。A社の主力薬は、特許満了が近いのでしょうか。B社の医療機器は、競争が激しいのでしょうか。C社の医療DXサービスは、長期契約によって売上が安定しているのでしょうか。同じ安全余裕率でも、売上が減少する確率や原因は異なります。そのため、最終的には事業の安定性と組み合わせて判断します。
実際の決算書から損益分岐点を推計するには
ここまでのケーススタディでは、固定費と変動費を明確に分けました。しかし、実際の企業の決算書には、必ずしも固定費と変動費が区分されているわけではありません。そのため、外部の分析者が正確な損益分岐点を計算することは難しい場合があります。では、どうすればよいのでしょうか。
まず、売上高と営業利益の推移を確認します。次に、売上原価や販売管理費の変化を見ます。さらに、設備投資や減価償却費、人件費などの情報を確認します。企業が開示している場合には、製品別売上や生産数量、稼働率なども参考にします。そのうえで、費用構造について仮定を置き、損益分岐点を推計します。重要なのは、推計値を確定した事実として扱わないことです。JMEIでは、「開示された事実」「分析上の仮定」「そこから導いた推計」を分けて考えることを重視します。
損益分岐点分析の限界
損益分岐点分析は便利ですが、万能ではありません。主な限界を確認しておきましょう。第一に、固定費と変動費を正確に分けることが難しい場合があります。第二に、販売数量が変化すると製品ミックスも変わる可能性があります。第三に、値引きや価格改定によって限界利益率が変わることがあります。第四に、一定の売上規模を超えると、新工場や追加人員が必要になる場合があります。第五に、会計上の利益と実際のキャッシュフローは一致しません。第六に、研究開発費や設備投資など、将来の成長に必要な支出を単純に削減できるとは限りません。
したがって、損益分岐点は、企業の未来を断定する数字ではありません。企業の収益構造を理解するための道具なのです。
JMEI式「損益分岐点を見る15の質問」
企業分析で、次の15項目を確認してみましょう。現在の売上高はいくらか。現在の営業利益はいくらか。限界利益率はどれくらいと推計できるか。固定費はいくらと推計できるか。損益分岐点売上高はいくらか。安全余裕率は何%か。売上が10%減少すると利益はいくらになるか。売上が20%減少すると利益はいくらになるか。販売価格が5%低下すると利益はどうなるか。原材料費が上昇すると損益分岐点はどう変わるか。設備投資によって固定費が増える予定はあるか。売上は安定しているか。特定製品や特定顧客への依存度は高いか。営業赤字になった場合、資金繰りは維持できるか。そして、売上減少から回復できる競争力があるか。
この15項目を確認することで、単なる利益率分析から一歩進んだ企業分析ができます。
練習問題
問題1 売上高100億円、変動費60億円、固定費30億円の場合、限界利益はいくらでしょうか。
【答え】40億円です。100億円-60億円=40億円。
問題2 限界利益率40%、固定費30億円の場合、損益分岐点売上高はいくらでしょうか。
【答え】75億円です。30億円÷0.4=75億円。
問題3 現在売上高100億円、損益分岐点売上高75億円の場合、安全余裕率はいくらでしょうか。
【答え】25%です。(100億円-75億円)÷100億円×100=25%。
問題4 安全余裕率25%とは、どのような意味でしょうか。
【答え】費用構造や販売価格などが変わらないという仮定のもとでは、売上が25%減少すると営業利益がゼロになるという意味です。
問題5 売上高100億円、変動費60億円、固定費30億円の会社で、売上が10%減少した場合、営業利益はいくらになるでしょうか。
【答え】6億円です。売上高は90億円、変動費は54億円、固定費は30億円で、90億円-54億円-30億円=6億円です。
問題6 販売数量が変わらない状態で販売価格を引き下げると、営業利益はどうなる可能性がありますか。
【答え】売上が減少する一方、数量に連動する変動費や固定費が変わらなければ、営業利益は売上減少率以上に減少する可能性があります。
問題7 製薬企業の損益分岐点分析で、特に注意したい要因は何でしょうか。
【答え】主力薬の特許満了、薬価改定、競合薬の登場、研究開発費などです。
問題8 医療DX企業で安全余裕率とともに確認したい指標は何でしょうか。
【答え】解約率、契約施設数、顧客単価、継続収益などです。
問題9 損益分岐点を超えて黒字であれば、資金繰りも必ず安全でしょうか。
【答え】いいえ。借入金返済、設備投資、売掛金や在庫の増加などによって、黒字でも現金が不足する場合があります。
問題10 損益分岐点分析で最も重要な考え方は何でしょうか。
【答え】現在利益が出ているかどうかだけでなく、売上がどれくらい減少すると利益が失われるのかを確認し、企業の収益耐久力を考えることです。
総合ケーススタディ――どの医療企業が最も安全か
最後に、3社を比較してみましょう。すべて架空の企業です。A Medicalは、売上高500億円、営業利益50億円、安全余裕率30%、売上成長率5%で、主力製品は安定しているものの、市場成長率は低い企業です。B Pharmaは、売上高500億円、営業利益80億円、安全余裕率20%、売上成長率15%で、主力薬が急成長している一方、5年後に特許満了が予定されています。C Medical DXは、売上高500億円、営業利益40億円、安全余裕率15%、売上成長率25%で、長期契約が多く、解約率は低い企業です。
どの企業が最も優れているでしょうか。安全余裕率だけなら、A社です。営業利益額なら、B社です。売上成長率なら、C社です。しかし、企業分析では、これだけで順位を決めることはできません。A社は安全余裕率が高い一方、市場の成長性が低い。B社は利益が大きい一方、特許満了リスクがある。C社は安全余裕率が低い一方、契約継続率が高く、売上の予測可能性が高い可能性があります。
重要なのは、それぞれの企業が持つリスクの種類です。A社は市場成長の鈍化、B社は特許満了、C社は顧客解約やシステム競争です。こうしたリスクが現実化したとき、どの程度売上が減少し、利益が減少するのか。そこまで考えて初めて、企業の収益耐久力を比較できます。
JMEIの視点
JMEIでは、損益分岐点を単なる会計上の計算式として扱いません。損益分岐点は、企業がどこまで経営環境の悪化に耐えられるかを考えるための指標です。
医療企業は、長期的な成長市場に属していると考えられることが多い産業です。高齢化、慢性疾患、医療技術の高度化、在宅医療、医療DX、介護需要。こうした要因は、医療関連市場の成長を支える可能性があります。しかし、医療市場全体が成長していても、個別企業の売上が減少することはあります。新しい治療法によって既存製品が使われなくなる。競合企業が市場シェアを奪う。薬価や診療報酬が改定される。医療機関の設備投資が減少する。技術革新によってビジネスモデルが変化する。つまり、成長市場にいることと、収益が安全であることは別問題です。
JMEIでは、企業を分析するとき、成長性と収益耐久力の両方を確認します。売上はどれくらい成長するのか。利益はどれくらい成長するのか。その利益は、どれくらいの売上減少に耐えられるのか。さらに、売上が減少した場合、回復できる競争力があるのか。この4つを組み合わせることで、企業の姿がより立体的に見えてきます。
JMEI Medical Insight 医療企業の「安全性」は、利益率だけでは測れない
医療企業の分析では、利益率の高い企業が魅力的に見えることがあります。営業利益率20%、30%。こうした数字は、確かに高い収益性を示します。しかし、利益率が高いことと、収益が安定していることは同じではありません。例えば、ある製薬企業が高い利益率を実現しているとします。しかし、その利益の大部分を一つの主力薬に依存している。しかも、数年後には特許満了が予定されている。この場合、現在の利益率が高くても、将来の利益には大きな不確実性があります。一方、利益率はそれほど高くなくても、複数の製品を持ち、継続的な需要があり、顧客基盤が分散している企業もあります。そのような企業は、売上の急減が起こりにくい可能性があります。
JMEIでは、医療企業の収益耐久力を考える際に、3つを重視します。第一は、売上の安定性です。患者数、検査件数、契約施設数、継続利用率、製品の市場シェアといった指標を確認します。第二は、費用構造の柔軟性です。売上が減少したとき、どれくらい費用を調整できるのか。固定費が大きいのか、変動費が大きいのか、新しい設備投資が必要なのか。こうした点を確認します。第三は、事業の回復力です。一時的に売上が減少しても、新製品や新技術によって回復できるのか。研究開発力はあるのか、財務的な余力はあるのか、顧客との関係は維持されているのか。こうした点を確認します。
そして、医療企業では、もう一つ忘れてはいけないことがあります。それは、医療の質です。病院や介護施設では、人件費を削減すれば短期的に損益分岐点が下がる場合があります。しかし、必要な職員配置を削減し、医療安全やサービス品質が低下すれば、長期的には利用者や患者からの信頼を失う可能性があります。製薬企業でも同じです。研究開発費を削減すれば、短期的に損益分岐点を下げられるかもしれません。しかし、将来の新薬開発力が低下すれば、長期的な成長力を失う可能性があります。つまり、医療企業では、損益分岐点を下げること自体が目的ではありません。必要な医療の質と将来への投資を維持しながら、収益耐久力を高めることが重要なのです。
JMEIが評価したいのは、単に費用を削って利益を守る企業ではありません。医療価値を高めながら、経営環境の変化にも耐えられる企業です。
今回のポイント
第54講で最も覚えてほしいのは、「黒字であることと、経営が安全であることは違う」ということです。営業利益が出ている。それだけでは十分ではありません。売上が10%減少したらどうなるのか。20%減少したらどうなるのか。販売価格が5%下がったらどうなるのか。原材料費が上昇したらどうなるのか。固定費が増えたらどうなるのか。こうした変化を考える必要があります。
そのために使うのが、損益分岐点と安全余裕率です。損益分岐点売上高は、固定費÷限界利益率。安全余裕率は、(現在売上高-損益分岐点売上高)÷現在売上高×100。この2つを理解することで、企業の収益耐久力を考えられるようになります。ただし、実際の企業では固定費と変動費を正確に分けられない場合があります。そのため、計算結果は仮定に基づく推計であることを忘れてはいけません。
そして最後に、次の問いを立ててみてください。「この会社は、売上が減少したとき、どこまで利益を守ることができるのか」。さらに、「利益が減少した後、再び成長できる力を持っているのか」まで考えてみましょう。企業の強さは、成長しているときだけでは分かりません。厳しい環境になったとき、初めて見えてくる強さもあるのです。
次回予告
第55講 価格決定力とは何か?――「値上げできる医療企業」と「値上げできない医療企業」の違い
今回は、損益分岐点と安全余裕率を学びました。その中で、販売価格を5%引き下げると、営業利益が大きく減少するケースを確認しました。では、反対に販売価格を引き上げることができたら、どうなるでしょうか。販売価格を5%引き上げ、販売数量は変わらず、原材料費も固定費も変わらない。この場合、売上の増加以上に利益が増える可能性があります。
しかし、すべての企業が自由に値上げできるわけではありません。製薬企業では、薬価制度があります。病院では、診療報酬制度があります。介護・福祉では、公定報酬があります。一方、医療機器や医療DXの一部には、製品の独自性やサービス価値によって価格決定力を持つ企業もあります。なぜ、同じ医療産業でも価格決定力が違うのでしょうか。なぜ、値上げしても顧客が離れない企業があるのでしょうか。なぜ、価格を下げなければ売れない企業があるのでしょうか。
次回は、価格決定力(Pricing Power)、競争優位、製品の差別化、スイッチングコスト、ブランド力、規制価格、そして、医療企業における価格と利益の関係を学びます。第55講では、「この企業は、なぜその価格で販売できるのか」という問いから、医療企業の競争力を読み解いていきます。
本講座に関するご注意
本講座は、企業分析の考え方を学ぶための教育コンテンツです。金融商品取引法に基づく投資助言・代理業には該当せず、特定の銘柄の売買を推奨するものではありません。講座内で企業を題材として扱う場合も、あくまで分析手法を説明するための例示です。
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受講による学習成果、および受講者の投資成果を保証するものではありません。投資その他の意思決定は、ご自身の判断と責任において行ってください。